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東京地方裁判所 昭和37年(ワ)8461号 判決 1966年4月27日

(昭和三五年(ワ)第一、八三五号事件につき)

原告

梅田藤吉・外六一名

右原告ら代理人

根本孔衛・外一名

右原告宮川晴雄、前田浅右衛門を除くその他の原告ら代理人

小島成一・外二四名

原告青沼藤一代理人

谷村正太郎・外一名

(昭和三五年(ワ)第四、七二二号事件につき)

原告

宮川吉三郎・外九〇名

右原告ら代理人は昭和三五年(ワ)第一、八三五号事件の代理人と同じ。

(昭和三七年(ワ)第八、四六一号事件につき)

原告

宮川与兵衛・外二名

右原告代理人

根本孔衛・外九名

被告

東京都、新島本村

右代表者・村長

植松藤吉

被告

右指定代理人

青木義人・外八名

右訴訟代理人

石川秀敏・外一名

主文

一本件訴え中、原告らが被告らに対し別紙目録記載(一)(二)(三)の山林について共有の性質を有するもしくは共有の性質を有しない入会権を有することの確認を求める部分および抹消登記手続を求める部分を却下する。

二被告国は

(1)  原告植松正明に対し、別紙目録記載(一)の山林(別紙図面表示赤線内の部分)のうち、別紙図面表示(い)の部分一、九七一坪(地番五一)を

(2)  原告田代寅吉に対し、同(ろ)の部分一、二〇〇坪(地番九五)を

(3)  原告宮川長八に対し、同(は)の部分一、二〇〇坪(地番一二六)を

(4)  原告大沼常吉に対し、同(に)の部分一、二〇〇坪(地番一四九の二)を

(5)  原告植松清太郎に対し、同(ほ)の部分一、二〇〇坪(地番一五〇)を

(6)  原告島村芳松に対し、同(へ)の部分一、二〇〇坪(地番一七七の一)を

(7)  原告水島卯之吉に対し、同(と)の部分一、二〇〇坪(地番一七八)を

(8)  原告磯部長右衛門に対し、同(ち)の部分一、二〇〇坪(地番一八〇の二)を

(9)  原告宮川与兵衛に対し、同(り)の部分一、二〇〇坪(地番七〇の二)を

(10)  原告前田彦左衛門に対し、同(ぬ)の部分一、二〇〇坪(地番七四)を

(11) 原告小沢重郎兵衛に対し、同(る)の部分一、二〇〇坪(地番一〇〇)を

(12)  原告池田マンに対し、同(を)の部分一、二〇〇坪(地番一二四)を

それぞれ引き渡せ。

(二) 被告国に対し、別紙目録記載(一)(二)(三)の山林の引渡しを求める原告らの請求中、その余の部分を棄却する。

三被告国に対し、原告らが別紙目録記載(一)(二)(三)の山林に立ち入り、竹木の植栽、採取、椿の実の採取、採草等入会権に基づく収益権を行使することを妨げないことを求める原告らの予備的請求を棄却する。

四訴訟費用は原告植松正明、同田代寅吉、同宮川長八、同大沼常吉、同植松清太郎、同島村芳松、同水島卯之吉、同磯部長右衛門、同宮川与兵衛、同前田彦左衛門、同小沢重郎兵衛および同池田マンらに生じた費用の二分の一を被告国の負担、被告村に生じた費用を原告らの負担、被告国に生じた費用の一〇分の一を原告植松正明、同田代寅吉、同宮川長八、同大沼常吉、同植松清太郎、同島村芳松、同水島卯之吉、同磯部長右衛門、同宮川与兵衛、同前田彦左衛門、同小沢重郎兵衛および同池田マンの負担、同五分の四をその他の原告らの負担とし、その余を各自の負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

一原告らの求める裁判

(一)(イ)  原告らが別紙目録記載(一)(二)(三)の山林について共有の性質を有する入会権を有することを確認する。

(ロ)  (右(イ)の請求が認められない場合)

原告らが別紙目録記載(一)(二)(三)の山林について共有の性質を有しない入会権を有することを確認する。

(二)(イ)  被告国は、原告らに対し、別紙目録記載(一)(二)(三)の山林を引渡せ。

(ロ)  (右(イ)の請求が認められない場合)

被告国は、原告らが別紙目録記載(一)(二)(三)の山林に立ち入り、竹木の植栽、採取椿の実の採取、採草等入会権に基づく収益権の行使をすることを妨げてはならない。

(三)  被告村は別紙目録記載(一)(二)(三)の山林について東京法務局新島出張所昭和三五年三月一七日受付第二〇号をもつてされた各所有権保存登記の、被告国は同出張所同日受付第二一号をもつてされた同日付売買予約による所有権移転請求権保全の仮登記および同月三一日受付第三三号をもつてされた右売買予約に基づく同日売買による所有権移転登記の、各抹消登記手続をせよ。

(四)  (以上の請求が認められない場合)

被告国は、原告植松正明に対し、別紙目録記載(一)の山林(別紙図面表示赤線内の部分)のうち、別紙図面表示(い)の部分一、九七一坪(被告村保管の向山部分林等級査定簿記載の地番五一)を、原告田代寅吉に対し、同(ろ)の部分一、二〇〇坪(同地番九五)を、原告宮川長八に対し、同(は)の部分一、二〇〇坪(同地番一二六)を、原告大沼常吉に対し、同(に)の部分一、二〇〇坪(同地番一四九の二)を、原告植松清太郎に対し同(ほ)の部分一、二〇〇坪(同地番一五〇)を、原告島村芳松に対し、同(へ)の部分一、二〇〇坪(同地番一七七の一)を、原告水島卯之吉に対し、同(と)の部分一、二〇〇坪(同地番一七八)を、原告磯部長右衛門に対し、同(ち)の部分一、二〇〇坪(同地番一八〇の二)を、原告宮川与兵衛に対し、同(り)の部分一、二〇〇坪(同地番七〇の二)を、原告前田彦左衛門に対し、同(ぬ)の部分一、二〇〇坪(同地番七四)を、原告小沢重郎兵衛に対し、同(る)の部分一、二〇〇坪(同地番一〇〇)を、原告池田マンに対し、同(を)の部分一、二〇〇坪(同地番一二四)をそれぞれ引き渡せ。

(五)  訴訟費用は被告らの負担とする。

二被告らの求める裁判

(一)  本件訴えのうち、入会権の確認を求める部分を却下する。

(二)  (その余の部分について)原告らの請求を棄却する。

(三)  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者双方の主張≪省略≫

第三証拠関係≪省略≫

理由

第一  本案前の問題

一入会権確認を求める申立てについて

原告らは、別紙目録記載(一)ないし(三)の山林(以下本件山林という。)について共有の性質を有するまたは共有の性質を有しない入会権の確認を求めている。しかし、入会権の性質上、入会団体の個々の構成員は、その資格において、入会権の内容のうち収益権を具体的に行使する権能を有するに過ぎず、入会権自体を管理処分する権能は個々の構成員に与えられておらず、実体法上入会団体の構成員全員でなければ入会権を処分することができないのである。したがつて、その反映として訴訟上も入会団体の構成員全員または入会団体自体(代表者または管理人がある場合に限る。なお、訴え提起につき構成員全員の承認または委任あることを要するものと解する。)でなければ入会権を処分する結果を招来するかも知れないような訴訟についての訴訟追行権を有せず、一部の構成員のみでは右のような訴訟について当事者適格を有しない(したがつて、このような訴訟はいわめる固有必要的共同訴訟である。)ものと解すべきである。けだし、入会団体の構成員の一部に過ぎない者に訴訟追行権を認める場合には、その者は他人のため当事者となつたものとしてその訴訟の判決の効力は入会団体自体ないし入会団体の構成員に及ぶから、もし敗訴した場合には入会権自体を処分すると同様な結果を招来するからである。

ところで、入会権の確認を求める訴えは、もし原告が敗訴すれば入会権自体を処分する結果を生ずる訴訟であることは明らかであるから、本件共有の性質を有する入会権または共有の性質を有しない入会権の確認を求める訴訟は入会団体の構成員全員の固有必要的共同訴訟であるといわなければならない。しかるに、原告らはいずれも、その入会団体であると主張する新島本村部落の構成員の一部に過ぎないことは当事者間に争いがないから、原告らは、被告らとの間で本件山林につき入会権を有することの確認を求める訴えについて原告適格を有しないものといわざるを得ず、したがつて、本訴中右確認を求める部分は不適法である。

二入会権に基づき本件山林につき抹消登記手続を求める申立てについて

前に述べたとおり、入会団体の個々の構成員は入会権を管理処分する権能を有せず、単に入会地につき収益権を行使する権能を有するに過ぎないから、個々の構成員は、管理処分権の範ちゆうに属し収益権の行使とは直接関係のない、入会地たる本件土地についてなされた被告らのための登記の抹消登記手続を求める申立てについても原告適格を有しないものと解すべきである。したがつて、入会権に基づくものとして本件山林につきなされた登記の抹消登記手続を求める申立ても不適法である。

三入会権に基づき本件山林の引渡しもしくは原告らの立入り等を妨害することの禁止を求める申立てについて

なお、入会権に基づき本件山林の引渡しもしくは原告らの立入り等を妨害することの禁止を求める申立ての適否についても吟味しておくこととする。

入会団体の個々の構成員は右に述べたように、入会権に基づく収益権を具体的に行使する権能を有するとはいえ、入会権の構成要素たる収益権自体はこれを処分することができない。しかし、個々の構成員が収益権を具体的に行使すると否とはその意思に委ねられているから、個々の構成員は自己の収益権の行使を妨げる者に対して妨害排除請求権を有するものと解すべきである。そして、入会団体の構成員各自が収益権行使の妨害排除請求訴訟において敗訴しても、その判決の既判力は原告となつた個々の構成員の妨害排除請求権の不存在を確定するに過ぎないから、その者の妨害排除請求権を処分することになるだけで収益権自体を処分することにはならない。それ故、入会団体の構成員各自は収益権行使の妨害排除請求訴訟を提起できると解することができる。

このように考えると原告らが、入会団体であると主張する新島本村部落の構成員たる資格において、収益権行使の妨害排除請求訴訟として、被告国に対し、本件山林の引渡しまたは原告らの立入り等の妨害禁止を求める原告らの申立ては適法である。

第二  本案について

一まず原告らの主張するように新島本村部落が本件山林についての入会団体であるかどうかについて検討する。

(一)  <証拠>ならびに弁論の全趣旨を総合すると、本件山林は古くから「村山」と称され、新島本村村民が薪や椿の実の採取に利用していたところであるが、明治初年の地租改正に伴い官有地に編入され、東京府知事の管掌に移つたこと、しかし、本件山林は右に述べたように元来新島本村村民により「村山」として利用されていたところから、明治一六年新島本村の名主、年寄連名のもとに東京府知事あて「官有地御下附題」と題する書面が提出された結果、明治一九年九月二四日新島本村に「一島或ハ一村ノ共有トシテ」下げ渡されたことが認められる。

ところで、原告らは、「右下渡しは実在的総合人としての新島本村に対してなされたものであるから、本件山林は当時の新島本村住民の総有となり、新島本村住民には共有の性質を有する入会権が生じた」旨主張し、被告らは、「右下渡しは当時法人化の進展途上にあつた新島本村に対してなされたもので、原告ら主張のような総有関係も入会権も成立しない」旨主張する。

そこで、右下渡し当時の新島本村の法的性格について検討するのに、<証拠>ならびに弁論の全趣旨によれば、新島本村は、徳川時代には幕府の直轄地であつたが、明治時代の廃藩置県により、明治二年韮山県に、明治四年足柄県に、明治九年静岡県に、明治一一年東京府にと順次編入されたこと、新島には大正一二年一〇月一日島嶼町村制が施行されるまでは町村制が施行されず、徳川時代より新島本村と若郷村の二村があつて、昭和二九年若郷村が新島本村に合併されるまではそれぞれ一村一部落を形成し、一つの団体が行政村としての性格と部落としての性格を兼ね備えていたこと、各村の住民は家(世帯)を単位として部落共同体を構成し、本件山林等のいわゆる村山の利用等の権利は家を単位として世帯主の権利として認められていたこと、新島本村と若郷村はほぼ同様な団体構造を示していたが、若郷村では、新島本村との合併前は若郷村の名主ないし村長は行政村の機関であると同時に若郷村落共同体の機関としての実体を備えていたのであり、また合併後の昭和三二年ごろにおいてもなお若郷村落共同体の存在が認められ、村山の利用、神社祭礼等につき独自の規制が行なわれていたこと、新島では、区町村会法が制定された明治一三年から十数年後の明治二八年に至つて徳川時代の村の自治機関と同名称の村寄合の規約が定められたが、村寄合を構成する村民惣代は「満二十五歳以上ノ男子ニシテ本村ニ本籍ヲ定メ満三年以上住居シ本村ニ於テ地租ヲ納メ及村費ヲ負担スル者ニ限ル……」とされ、また「村民惣代ヲ選挙スルヲ得ベキ者ハ本村ニ住居シ村費ヲ負担スルモノニ限ル……」とされていて、村費は戸主に課せられていたことが認められ、<証拠>によれば新島においては、徳川時代からの旧慣で、村は一つの課税団体を形成し、徴税権者は各村民に対して直接に課税するのではなく、島全体に対して金額を定めて課税し、新島本村および若郷村の各村はその負担額をさらに村内の納税義務者に割賦してこれを取り立てた後、村の租税として村の名においてこれを徴税権者に納付する建前がとられ明治三一年においてもなお若郷村の貢税を「村」が名主の名で東京府に一括上納していることが認められ、また<証拠>によれば明治三一年当時新島では「土地ハ恰モ内地ニ於ケル地租改正前ノ有様ト異ナラス」「島役所ノ事務ハ行政本務ノ外警察収税及区裁判所権限内民刑事事件ニ至ル迄一任シアル」状態であり、島役所の地役人は実質的にみると代官の出先の名称が変つたに過ぎないと考えられるような状態にあつたものと認められること等の諸事情および弁論の全趣旨をあわせ考えると、本件山林下渡し当時の新島本村の法的性格は本質的に幕藩体制下の村と同じく「家」(世帯)を単位として構成された村民の総体でいわゆる「実在的綜合人」であつたものとみるべきである。被告は、新島では町村制の施行こそおくれはしたものの明治維新後も中央権力の支配下に村としての組織が整備され村政が執行されて来たと主張し、その一つのあらわれとして明治一四年東京府知事により定められた「島吏職制」によれば地役人、名主一式引受人、年寄等の島吏は東東府知事の支配下に属する行政機関であつたと主張している。そして、<証拠>によれば、明治一四年東京府知事によつて定められた島吏職制には、「地役人は知事の命を受け、布告諸達を島内に施行し、一島の事務を総理し、名主一式引受人を監督する」こととされ、「名主一式引受人は知事の命を受け特に地役人の監督に従い村内一切の事務に従事する」ものとされ、さらに「年寄は、名主を輔け、名主事故あるときはその事務を代理する」とされていて、名主年寄が東京府知事の監督下にある行政機関としての性質を有していたことは認められるが、旧来から村役人は代官等の指揮監督の下に村関係の行政を処理施行する点において領主の役人たる面を有すると同時に村の自治機関として村民の「総代」たる面を有していたことは<証拠>および弁論の全趣旨により認めうるところであるから、右「島吏職制」の存在は本件山林下渡し当時における新島本村を実在的総合人であるとみる妨げにはならないといわなければならない。もつとも、幕藩体制下の村は「生活共同体としての村」の面と「行政単位としての村」の面(具体的には領主の行政区画ないしは租税の徴収および土地封与の単位、客体としての面)を有していた(その範囲は必ずしも一致しない。)ところ、明治初年以降の行政制度の変革により従来一致することの多かつた二つの面が分裂し、すでに市町村制施行前においても行政単位としての村の面が抽象的公法人化するすう勢にあり、内地においては区長制、町村会制の創設等がこのすう勢を促進することはあつたが、反面、村の生活共同体としての面の機能も存続し、やがて町村制施行後はこの面の機能は部落に引き継がれて行つたことは<証拠>および弁論の全趣旨により認められるところである。そして、本件山林は古くから新島本村村民により「村山」として薪や椿の実の採取に利用されていたためその下渡し申請がなされたことは前述したとおりであり、しかも、本件山林は右申請に応じ新島本村に「一島又ハ一村共有トシテ」下げ渡されたことも前に述べたとおりであるが、「一村共有」とは当時使用されていた言葉で、これを法律的にいえば、村という団体の所有であると同時にその内容が村民たる資格に伴つて村民各自に分属し、各自の特別個人権として表現するところの権利すなわち一村の「総有」を意味したという有力な学説が存することは被告も明らかに争わないところである。そして、前記のような本件山林下渡し当時における新島本村の法的性質と本件山林下渡しの経緯に照らせば本件における「一村共有」の意味も右学説がいうような意味であつたことを推認できる。そうであるとすれば、本件山林は東京府知事による新島本村への前記下渡しにより実在的総合人としての新島本村の総有に帰し、新島本村村民(具体的には、生活共同体としての村を構成する単位である「家」(世帯)の代表者すなわち世帯主たる村民)は、共有の性質を有する入会権を行使する権利を取得したものというべきである。

そして、本件山林下渡し後の本件山林等の管理利用状況をみると、新島本村が入会団体として機能を示し、その村民が本件山林につき共有の性質を有する入会権を行使してきたとみられる次のような事実がある。すなわち、<証拠>ならびに弁論の全趣旨を総合すると、本件山林を含む向山、瀬戸山の山林は、行政村としての面と生活共同体=部落としての面の二つの面を兼ね具えている新島本村によつて管理され(具体的な管理機関は行政村としての新島本村の意思決定機関であると同時に部落すなわち生活共同体としての新島本村の部落民代表者の協議会でもある村寄合、村会、行政村の執行機関であると同時に部落生活共同体の執行機関でもある名主、村長)等椿の実の採取については採取開始の時期すなわち「口あけ」、採取期間等が管理機関により定められ、その規制のもとに採取が行なわれたこと、薪の採取についても搬出日、搬出量につき村による規制が存在しその規制のもとに採取が行なわれたこと、本件山林中別紙目録記載(三)の瀬戸山は「留山」と称され、そこでの立木の伐採が原則として禁止されていたほかは、後に述べる有資格の村民が適当な場所に樹木を植栽して生長させたうえ、伐採することができたこと、新島本村では村民はどこの山に入つて採草してもよいことになつていたが、宮塚山、白間、笠松、輪田、前坂等の茅生地は新島本村を十組に分けて組織された茅無尽組(主として後に述べる本農家だけで組織されていた。」に割り当てられ、茅の刈取り、屋根葺き等が各組の統制のもとに行なわれていたこと、大正元年八月ころ当時の新島本村名主安達茂平治が別紙目録記載(一)(二)の山林を含む向山地域(建築資材たる抗火石を採取し得る個所がある。)を村有であるとして村民にはかることなく石材業者高橋常次郎ほか三名と石材採掘契約を締結したところ、前記明治一九年における山林下渡しの事情と同地区の地租は村民により平等に負担されていたこと等のため、村民の間には向山地区が村民の共有であるとの意識が根強く、大正二年八月前田平兵衛ら数名の村民が原告となり、右高橋らを被告として向山山林が原告らの共有に属することの確認と同所よりの抗火石の採掘ならびに附帯左事の差止めを求める訴えを東京地方裁判所に提起し、その結果大正二年一二月三百名以上の村民と右高橋常次郎との間に「新島本村村民は向山地域が同村部落有であることを認め向山山林石材採掘に関し高橋が部落代表者との間の契約に基づき得た権利を承認し、前田平兵衛らは右高橋らに対する前記訴えを取り下げる。高橋は村民に対し示談金として二、二五〇円を支払う。」等のことを骨子とする裁判外の和解が成立した(これを石山事件という。なお、名主安達茂平治およびこれに同調した村民惣代は責任を追及されて辞職した。)こと、新島本村は古くから前述のように家を単位として部落共同体を構成し、明治時代には本戸(古くからの農家で本農家ともいい、椿の実の採取権等につき次に述べる半戸、寄留民と比べて特権的地位にある。)、半戸(元来は本戸から分かれた農家で、椿の実採取等につき本戸より劣る地位にある。)、寄留民(外来者)の身分階層が存在し(反面、本戸間の関係は比較的平等な関係である。)、一定の資格要件のもとに、部落=生活共同体としての村の構成員として前述の椿の実の採取、木材の植栽、伐採、茅の採取等をすることを認められていたこと、近時この区別は薄らいで来てはいるが、後に述べる宮塚山、向山の利用権の分割(いわゆる部分林の設定)の際割当てを受け得たのは本戸と半戸のみ(宮塚山については本戸のみ)であつたことがそれぞれ認められるが、これらの事実は新島本村が生活共同体としての村の側面において本件山林等につき入会団体としての機能を発揮し、村民に種々の共同体的規制(前述の椿の実、薪の採取等についての規制が共同体的規制であることは明らかである。)を及ぼし、生活共同体としての側面における新島本村の村民が本件山林等につき共有の性質を有する入会権を行使してきたことを示すものである。

被告らは、本件山林は明治時代から今日に至るまで一貫して村有基本財産として行政村当局により管理処分されてきており、他のいかなる形の管理統制機構も存在しなかつたと主張し、証人百井男登吉の証言中には、「本件山林を含む新島内の山林は主として椿林であり、椿の実の採取を主な目的として保護育成されてきており、この椿の実は村財政上もきわめて貴重であり(証人前田長八の証言によれば、村民は一戸一人あて賦役として椿の実を採取し、その全部を村当局に納めることとされていたが、大正時代に入つたころからこの賦役を改め、採取量の一定割合を納めることに改められたことが認められる。)また村民の生活にとつてもきわめて重要であつたので、成熟した椿の実を採取することおよび他人所有地内の椿の実の採取を防止することの必要上、村当局が椿の実の採取を管理した。その方法が、「椿の口開け」の統制である」旨の部分があるが、新島本村は前述したとおり幕藩体制下の時代から昭和二九年に若郷村を合併するまで終始一つの村落共同体=生活共同体としての村=部落が行政単位としての村と一致していたため、生活共同体としての村の仕事が行政単位としての村の仕事であるかのように考えられ処理されてきたとしても何ら不思議ではなく、本件山林等について新島本村が入会団体としての機能を示し、生活共同体としての側面における新島本村の村民が共有の性質を有する入会権を行使していたという認定を覆すに足りない。その他以上の認定を左右するに足りる証拠はない。

(二) そこで、つぎに、その後生活共同体としての側面における新島本村が本件山林について取得した共有の性質を有する入会権を消滅せしめるような事実が存するかどうかについて考えてみよう。(なお、被告は、そもそも入会権は成立しなかつた旨を主張することに力点をおいているため明確には入会権消滅を主張していないが、被告の主張に含まれている事実の中で入会権消滅事由に該当するかどうかが問題となるものにつき検討を加えることとする。)

(1) 島嶼町村制の施行

明治二一年四月一七日同年法律第一号をもつて公布された町村制は翌明治二二年四月一日より地方の情況を斟酌して府県知事の上申により内務大臣の指定する地に実施されることになつたが、新島には実施されず、大正一二年内務省令第一九号により、ようやく同年一〇月一日より島嶼町村制が施行されたところ、町村制の実施については「明治二一年法律第一号は、従来の総合人としての村を一挙にして近代的擬制人たる地方公共団体に改造し、従来の町村総有財産を挙げて町村専有財産に変じてしまつた」との考え方もあり、この立場よりすれば新島に島嶼町村制が施行されたことに伴い新島本村は入会団体として存続する余地がないことになるので、右のような考え方の当否につき簡単に触れておくと町村制の施行により行政単位としての村のほかに生活共同体としての村の存在理由が消滅せしめられたと解すべき積極的根拠に乏しく、むしろ町村制施行に伴う合併標準についての明治二一年六月内務省訓令第三五一号(県甲一九号)は「第七条町村ノ合併ヲ為スベキトキハ、其町村財産ノ処分ハ各町村ノ協議ニ依リ郡長ヲ経テ府県知事ノ認可ヲ得クヘシ第八条町村ニ於テ前条ノ協議調ハサルトキハ府県知事ハ適宜ノ注意ヲ以テ可成協議ニ至ラシムルコトヲ勤メ若シ協議ニ至ラサルトキハ左ノ規定ニ依リ財産ヲ処分スヘシ一民法上ノ権利ハ町村ノ合併ニ就キ関係ヲ有セルモノトス即各町村ニ於テ若シ町村タル資格ヲ以テ共有スルニ非スシテ町村住民又ハ土地所有者ニ於テ共同シテ所有シ又ハ維持共用セシ営造物又ハ山林原野田畑アルトキハ従来ノ儘タルヘシ二……三従来公用ニ供シタル財産(役場、病院、防水具消防具、其置場、掲示場類)ハ旧町村限リ又ハ町村ノ一部分ニ属スルモノト雖モ其所有権利ハ新村ニ移スヘキモノトス……」と規定し、町村公共有物と町村住民の私共有物とを明確に分けて取り扱つていること明治三一年施行の民法は入会権について第一次的に各地方の慣習に従うべきものとし、(民法第二六三条、第二九四条)民法施行前からの慣習による入会権なるものを認めている以上、従前よりの入会権の主体たる生活共同体としての村の存在を否定していないと解されること等からみても、町村制の施行が従来の町村総有財産を挙げて町村専有財産に変じてしまつたというような見解は採用しがたいものというべく、島嶼町村制の施行についてもこれと同様に解せられるので、新島本村は島嶼町村制の施行により入会団体たる性格を失つたものと解することはできない(なお、甲第二三号証および証人村武精一の証言参照)。

(2) 本件山林の管理利用形態の変化

つぎに、被告らは本件山林について何らかの入会慣行があつたとしても、本件山林の利用形態の変化は入会慣行の消滅を意味する旨主張するので、この点について考えてみよう。

イ 別紙目録記載(一)(二)の山林=向山山林について

<証拠>を総合すると、別紙目録記載(一)(二)の山林は従来新島本村村民が各村民ごとの排他的支配領域を設けることなく共同で利用していたものであつたが、大正九年ごろに至り数百区劃(一区劃当り千数百坪以下)に分劃されて村民(本戸と半戸の全員である。)に割り当てられ、それぞれの区劃は割当てを受けた村民の独占的利用に委ねられた(分割された山林は部分林と呼ばれた。なお、新島本村ではこれに先立ち宮塚山についても分割が行なわれ、この方は本戸のみに割り当てられ、その独占的使用に委ねられた。)こと、島嶼町村制が新島に施行される直前の大正一一年一月三〇日東京府知事の認可を得て村有椿林貸付規則が制定され、大正一二年九月一日より前記部分林の割当てを受けた村民が新島本村名主から右村有椿林貸付規則により貸付を受けるという形式がとられ、貸付料として若干の金額が支払われるようになり、満二〇年の貸付期間というものが設けられたこと、その後前記村有椿林貸付規則は若干の改正を経て新島本村部分林貸付規則(昭和一七年四月一日施行)となり、さらに新島本村山林条例(昭和三四年九月二八日施行)となつて今日に及んでいること、この間本件山林は新島本村の村有財産台帳および名寄帳には新島本村の村有財産として記載され、部分林使用料は行政村たる新島本村の歳入予算に組み入れられてきたことがそれぞれ認められる。

そこで、これらの事実は入会慣行ないし入会権の消滅を意味するかどうかについて考えてみるのに、右のような事実が認められるにせよ、他面部分林が割り当てられたのはまだ島嶼町村制施行前であること、しかも割当てを受け得たのは新島本村住民中本戸と半戸だけであつたことは前述したとおりであり、<証拠>ならびに弁論の全趣旨を総合すると、前記のように部分林は大正一二年九月一日より村有椿林貸付規則による貸付の形式がとられ貸付期間が満二〇年と定められたといつても更新時期に特に更新手続らしいことは行なわれず、そのまま引き続き割当てを受けた者に独占的に利用させていたこと、部分林の管理について部落の関与は少なくなつたけれども、椿の実の採取時期等についての共同体的規制は依然続いており、もちろん部分林の処分は許されていないこと、椿の実の採取時期=「椿の口あけ」等をきめるのは部落民の惣代という面における村会議員や部落民代表としての区長、連絡長らの協議のうえで決定されていること、昭和二九年若郷村を合併してからも本件山林は新島本村部落民のみで利用し、若郷落民の方も従来同部落民が利用してきた山を同部落民だけで利用していることがそれぞれ認められ、これらのことと<証拠>をあわせ考えれば、前記部分林設定以降の向山山林の管理利用の状況は、生活共同体として村の側面における新島本村の本件山林について有する入会権が消滅ないし解体したことを示すものと解すべきものではなく、単に入会地の利用形態が共同利用形態から分割利用形態へ変化したことを示しているに過ぎないと解すべきである。すなわち、入会団体の各構成員が区域をきめないで共同で入会地を利用する形態が古典的な入会利用形態たる共同利用形態であるのに対し、各構成員は自分に割り当てられた区域を独占的に利用できる反面他の構成員に割り当てられている区域をも利用できないのが分割利用の形態であるが、向山部分林の利用形態はこれを分割利用の形態にあたる(貸付料は独占利用の対価として部落に支払われる一種の「特権料」貸付期間は一応の分割の期間を意味する。)ものと解するのが相当である。

もつとも、入会権は部落民の総有に属するから入会権の廃止や部分林の設定、廃止等のの重要行為については本来入会団体の総会で入会権者たる部落民の全員の合意をもつて決すべきものである(もとより、公用徴収の方法により入会権を消滅させることはできる。)とはいえ、新島本村は、前記のように、昭和二九年に若郷村と合併するまでは一村一部落であり、部落の生活共同体としての権利についても通常の管理行為は行政村たる村の機関に処理させていたので、行政村の組織と機能が整備強化されるに従い、村の機関はもちろん村民一般としても行政村の権利と生活共同体としての村の権利との区別の意識が稀薄となり、前記部分林の設定等の行為についてはもとより、右村有椿林貸付規則、新島本村部分林貸付規則等の制定についても村寄合ないし村会の議決のほかに特に部落民の総会を開いてその合意を得るような手続をとつた形迹はなく、しかも、これからの規則等の内容は本件山林の地盤の所有権が行政村たる村の所有に属し、この村有林を村民に貸し付ける形式をとつているにもかかわらず、部落民は、前記石山事件の場合を除き、これらのことにつき格別異議を述べることもなく今回の本件山林売却に伴う紛争発生まで経過してきたこと(このことは証人植松藤吉の証言により認められる。)からすれば、入会権者たる部落民は村の機関に対しこれらの行為を委任していたか又はこれを承認しており、本件山林の地盤の所有権が行政村に属することを認め右規則等に従つて貸付を受けたもので、したがつてこの規則等に基づき行政村の機関より(被告らがBb二の(四)で主張しているように)貸付契約を解除されてもやむを得ないのではないかと考えられないではない。

しかしながら、行政村たる村の機関は、本来、生活共同体としての部落の権利の処分等の重要な行為をする権限を与えられているものではなく、権利者たる部落民全員の委任ないし承認のもとにのみそのような行為をなしうるものと解すべきであるから、部落民全員の委任ないし承認のない限り入会権の処分等の行為についてはその権限を有しないものというべく、前記認定の事実関係に徴すれば、右(一)(二)の部分林の設定、割当てについては入会権者たる部落民全員がこれを異議なく承認したものと推認されるけれども、右貸付規則等の内容が、本件山林が行政村の所有たることを前提とし、これを村有財産として貸付する形式をとつているとはいえ、入会権者たる部落民全員が部落共同体としての村の所有と行政村たる村の所有との区別を明確に認識して部落民の有する右山林の地盤に対する総有権を放棄し行政村たる村の所有とすることを認めて右規則等に基づきその貸付を受けたものとは到底認められず、むしろ<証拠>によれば、少なくとも同原告ないしその先代らは、そのようなことを認めて貸付を受け、ないし割当てを受けたものではないことが認められるから、他に入会権者たる部落民全員による権利の放棄または村の機関に対する放棄の権限の委任ないし村の機関のした放棄行為の承認等のあつたことの認められない以上、原告ら部落民はいまだ右山林の地盤の総有権を失つておらず、したがつて行政村たる村の所有財産の貸付を受けている関係にはないものといわなければならない。もつとも、原告らは右規則等による拘束をそのままには受けないが、貸付料、貸付期間等右規則等で定められた事項で入会権者の全員が承認していると認められるものは(もつとも貸付料、貸付期間は前記のように特権料、分割期間の意味において)入会権の内容となり原告ら入会権者に対し効力をもつものというべきである。したがつて、右規則等における部分林貸付契約の解除に関する条項も、これが部分林割当て廃止の条項として拘束力をもつものと考えられる余地があるが、しかし、この条項は入会権者全員の承認のない場合においても入会地の処分等を前提とするような部分林割当ての廃止をなしうる趣旨を定めたものとは解せられないところ、<証拠>によれば、被告村が今回原告らに対してした本件部分林貸付契約の解除は、本件山林を被告国に売却するためになされたものであるが、本件山林の被告国への売却およびそのための部分林貸付契約の解除については部落民の間に意見が分かれ、部落民のうちの相当多数の者がこれに反対し、本件山林の被告国への売却の件およびそのための貸付契約解除の件等が新島本村の村議会に付議された際も議員の約三分の一程度の者がこれに強く反対し白熱の論議の末結局多数決(反対議員退席後の議決は全員一致)をもつて可決されたものであることが認められる。そうであるとすれば、被告村の機関たる村長らは本件入会山林の被告国への売却およびそのための原告ら入会権者に対する向山部分林貸付契約解除の権限を有しないものというべく、右機関のしたこれらの行為によつては原告らの入会権は消滅しないものといわなければならない。なお、また、本件山林が新島本村の村有財産および名寄帳には新島本村の村有財産として記載され、部分林使用料が島嶼町村制の施行により成立した行政村たる新島本村の財政収入として取り扱われてきたというような事実は、前にも述べたとおり新島本村では若郷村を合併するまで一部落一行政村であるため行政村と部落の対立が意識されていなかつたことを物語るに過ぎないと解すべきである。

ロ 別紙目録記載(三)の山林=瀬戸山の利用形態

<証拠>ならびに弁論の全趣旨を総合すると、別紙目録記載(三)の山林すなわち瀬戸山は古来、新島の中部に位する耕作地の風防林すなわちいわゆる「留山」として部落の直轄支配下におかれ、部落民による立木の伐採は禁止されていたが、部落民は竹木の植栽、椿の実の採取、枯枝の採取、採草等を行なうことは許されていた(したがつて純然たる直轄利用形態ではなく共同利用形態の面が残つていた。)ことが認められる。したがつて部落民は右山林において慣行に従つて入会権を行使する権利を有していたということができる。(右各証拠によれば、瀬戸山には山番が置かれ被告村から給料の支給を受けていたこと等の事実が認められるが、これは前述のように行政村と部落との区別の意識が十分でなかつたことによるもので、入会権の存在したことを否定させるものではない。)

二そこで、以下原告の申立て(二)について検討することとする。

(一)  本件山林の引渡しを求める請求について

新島本村部落が本件山林について共有の性質を有する入会権を有することは右に述べたとおりであり、原告らはいずれも新島本村の住民で本農家(本戸)または半戸と称されていた「家」(世帯)の世帯主であることは当事者間に争いがないから、原告らは本件山林について新島本村部落が有する右入会権に基づき収益権を具体的に行使することができ、収益権の行使を妨げている者に対しては妨害排除請求権を行使できるものといわなければならない。

ところで、被告国が別紙目録記載(一)(二)の山林を含む向山地区に防衛庁技術研究本部飛しよう体実験場(いわゆるミサイル試射場)を設置し、別紙目録記載(二)の山林をその要員宿舎用地とすることを計画し、被告村より本件山林を買あ受ける旨の契約を締結し、現に本件山林上にミサイル試射施設および要員宿舎を設置して、これを占有中であることは当事者間に争いがなく、その結果原告らの入会権に基づく収益権の行使を妨げていることは弁論の全趣旨により明らかである。しかしながら、収益権に基づく妨害排除請求として物件の引渡しを求めうるためにはその物件に対してその者が排他的使用収益権を有している場合に限られその物件を他人と共同して使用収益する権利しか有しない場合には引渡しを求めることができないと解すべきところ、原告植松正明は別紙目録記載(一)の山林中別紙図面表示(い)の部分一、九七一坪(地番五一)の、同田代寅吉は(ろ)の部分一、二〇〇坪(地番九五)の、同宮川長八は(は)の部分一、二〇〇坪(地番一二六)の、同大沼常吉は(に)の部分一、二〇〇坪(地番一四九の二)の、同植松清太郎は、(ほ)の部分一、二〇〇坪(地番一五〇)の、同島村芳松は(へ)の部分一、二〇〇坪(地番一七七の一)の、同水島卯之吉は(と)の部分一、二〇〇坪(地番一七八)の、同磯部長右衛門は(ち)の部分一、二〇〇坪(地番一八〇の二)の、同宮川与兵衛は(り)の部分一、二〇〇坪(地番七〇の二)の、同前田彦左衛門は(ぬ)の部分一、二〇〇坪(地番七四)の、同小沢重郎兵衛は(る)の部分一、二〇〇坪(地番一〇〇)の、同池田マンは同(を)の部分一、二〇〇坪(地番一二四)のそれぞれ割当てをうけ独占利用を許された「家」の世帯主であることは、<証拠>ならびに弁護の全趣旨により認められるから、右各原告らがそれぞれ右各部分の引渡しを求める請求(原告ら第一、一、(二)の(イ)の引渡し請求にはかかる請求をも包含するものと解される。)については理由があるが、本件山林中右の部分以外の部分については原告らが独占利用権を有しているという主張も立証もないから、その引渡しを求める点については理由がない。

(二)  本件山林に立ち入り、竹木の植栽、採取、椿の実の採取、採草等入会権に基づく収益権の行使を妨げないことを求める予備的請求について

本件山林中別紙目録記載(一)(二)の山林はいずれも部分林であり、数百区劃に分割され、それぞれの部落民の独占的排他的利用に委ねられていることは前に述べたところであるから、右部分林についてはそれぞれの区劃を割り当てられている権利者のみが、当該区劃を使用収益することができ、その他の部落民は使用収益をなし得ないところ、別紙目録記載(一)(二)の山林のうち(一)の山林中の別紙図面表示の(い)ないし(を)の部分を除くその他の部分は誰がどの部分を独占使用する権利をもつかにつき明らかにされていないし、また原告らが共同して使用収益し得る権利を有するという立証もないから、原告らはこれらの山林に立ち入り、椿の実を採取する等収益権を行使し得る権利を有するとはいえない。

また、別紙目録記載(三)の山林は「留山」で新島本村部落の直轄支配下にあるが、慣行として部落民が立ち入つて竹木の植栽枯枝の採取、椿の実の採取、採草等を行なうことを許されていたことは前述しとおりである。

しかしながら、前記二の(一)記載の争いのない事実に<証拠>および弁論の全趣旨を総合すれば、本件山林中(三)の土地は被告国の買受け後ほとんど全面にわたり草木が伐採されて宅地または通路等とされ、地上に被告国のミサイル試射場関係要員の宿舎等が建設されており、部落民はもはや同所において従前のように竹木の植栽、椿の実の採取枯枝の採取、採草等を行なうことができない状態にあることが認められる。してみれば、右(三)の土地については、原告ら部落民はもはや入会権の目的たる収益権を失つたものというべきであるから、原告らはその収益権を行使することができず、したがつて(三)の土地についての竹木の植栽等についての妨害禁止を求めることもできないものといわなければならない。

第三  むすび

以上の次第で、本件訴え中、被告らに対し入会権の確認を求める部分および抹消登記手続を求める部分はいずれも不適法であるからこれを却下し、被告国に対する(原告らの求める裁判(二)記載)の請求は、原告植松正明、同田代寅吉、同宮川長八、同大沼常吉、同植松清太郎、同島村芳松、同水島卯之吉、同磯部長右衛門、同宮川与兵衛、同前田彦左衛門、同小沢重郎兵衛、同池田マンが別紙目録記載(一)の山林中別紙図面表示(い)ないし(を)の各部分の引渡しを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから、これを棄却することとし(原告らの求める裁判(四)記載の申立ては右認容部分がない場合のものであるからこれについては判断しない。)、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。(位野木益雄 田嶋重徳 小笠原昭夫)

<別紙>  目   録

(一) 東京都新島本村字向山一、二九九番

山林  三六町五反四畝二歩

(二) 同所一、三〇〇番

山林  五二町四反九畝歩

(三) 同村字瀬戸山二番

山林  一町六反六畝二〇歩

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